ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

毎日更新されたりされなかったりする日記

多分世の中の皆意外に応援したがりなんじゃないかな。知らんけど。

こんばんは、エスティオです。

最近は仕事も忙しくなってきたので平均帰宅時間が遅くなってきています。

録音はつつがなく進行しました。 今回からシュビメン一人一人にマイクが用意されるようになったため各々の声に合わせたマスタリングが行われることとなります。

つまり、自分のミス等々が一発でバレます。 怖い時代ですね。 ただ恐らく最も怖いのは、録音時のトラック数が倍になった上それらを全て調整しなければならない古城さんだと思います。

古城さんのおかげでシュビの演奏が聴けるので、シュビの新しい曲が聴きたい!って思う人は「古城さんがんばえ~」と応援するか「古城さん、がんばれ♡がんばれ♡」って言ってあげるとよいかもしれませんね。(これを実際に行ったことによって何が起きても当方は一切責任を取りません取れません)

さて、明日も楽しいお仕事ですよ皆さん! 私はもう今から帰って花金したいです!

それでは。

バンナムフェス2日目所感、あるいはユニット内の音響について

エスです。今回の記事は二部構成となっております。前半が演者それぞれの音響についての話、後半がただのオタクの感想です。

前半については本来であれば本職のKJにお任せしたいところなのですが、今回KJはフェス不参戦のため、まあそれなりに録音経験がある人間が知ったかぶりしながら書いていこうと思います。

■音量の差について

今回、個人的に気になったのは複数人での演奏のさい、明らかに声のデカい人と聞こえにくい人がいたこと。一応断っておきますがこれはライブに対する不満ではなく、純然たる好奇心です。ライブが最高なのは揺るぎのない事実なので。

まず今回の話題をかっさらった一翼であるラブライブのギルキスからいきましょう。私はラブライブには一切明るくありませんが、めちゃめちゃ踊りながら6曲連続で通すというかなり過酷なセトリをこなしていました。基本的に音圧は高めで、それぞれの声質も近い、あるいは近く寄せている印象を受けました。シャニマスとsideМ以外のアイマスは、比較的ユニットをシャッフルしたり新たなユニットで歌唱する傾向があるため、個人間でのバランス調整に関してそれほど時間をかけられないという事情があります。しかしギルキスは1ユニットで6曲やれるだけの長い活動期間があったものと推測され、またライブ慣れもしており、どの演者の声もほぼ同等に聴こえてくるようになっていました。もしかしたら6曲連続のセトリ上、専用のマイクでゲインの細かいバランス調整があったんじゃないかなーとも思っています。

次にシャニマスよりイルミネーションスターズを見てみましょう。イルミネはかなり声量差のあるユニットでした。真乃の声がぽわぽわした系統の頭声なので張ったチェストボイスが出しづらく、逆に灯織は深めの芯の強い声で、そもそもの声量差に加えマイクへの乗り方や発声域の違いなどからライブにおいて同じような音量で届けるのが難しいユニットだと推測します。今回はユニットとしては一曲のみの参加なこともあり、音響さんの方でのバランス調整も難しかったのではないでしょうか。

余談ですが、アイマスにおける蒼の系譜はみんな胸声で張りのある歌を要求されます(水谷絵理以外)。これは女声で熱いクールを表現する際に要求されるディレクションなのが理由かと思われます。なお男声の場合はあまり張り上げるとパッション方向に行くためやや控えめに落ち着く傾向があります。

閑話休題。上記2ユニットが特に際立って違いがあったかなあと思います。他のユニットでは「この子はキャラ的にも声質的にもそこまで聴こえないかなー」などと想像してたら案外聴こえてきたり(霧子とか聴こえないかと思ってた、逆に三峰はめちゃめちゃ声がデカかった。謎にデカい)。我々は合唱団としての録音はけっこうやっていますが、やっぱり声質や音域によってそれぞれのパートの音量はかなり左右されます。生歌と違ってマイクを通す都合上、ある程度はエンジニアリングによって解決できる話なので、ライブにおいての上手い下手は歌の技術のほかにも別の問題として音響エンジニアリングという要素があるんじゃないかなーと思いました。知らんけど。ここら辺の話は前にKJがちょろっと書いてたのでなんかあったら補足よろしく。

さてここからはただのオタクの感想タイムだ!

初日は仕事からの録音コンボだったので2日目しか行けなかったんだけど、初日でsideМめーーーーっちゃ聴いてみたかった! 絶対かっこいいでしょあんなん。来年もやるってなってたのでメンバー見て行きます。

とりあえず初見のコンテンツの感想をば。

モモーイ

カラオケではめちゃめちゃ聴いてたのでついに生コンテンツ! と感慨深かった。声の切り替わりすき。一部アイマスと世界観共通なんだっけ? バレンタインの歌詞の秘密、何年越しに明かされるんだよ……ってなった。

ゼノグラシア

実は2番目くらいに高まってしまった。微熱SOSのBメロ転調めっちゃいいやろ。ゼノグラシアやよいは本家やよいとぜんっぜん性格も設定も違うんだけど作中で一番いいキャラと俺は思ってるので食わず嫌いせずに見た方がいいコンテンツだぞ。ゼノグラシアはいいぞ。

ラブライブ(ギルキス)

アイマスP特定層ぜったい沼にはめるウーマンだった。あんだけ踊って連荘で歌ってもパフォーマンス乱れないのはさすがの一言。ラブライブは半数近くが女性ファンで構成されてる(りぼんとかちゃおとかの方程式で男性向けに間口を広くとった(当社調べ))んだけど、パフォーマンスや曲が韓流アイドルグループっぽさがある。これはLIPPSとかもそうで、女性人気が高くなる理由がわかる。

アイカツ

センターモニターが柱で見づらい位置だったのでちょっと内容は掴み切れなかったんだけど、楽曲に関して言えば一番つよいんじゃないかと思った。CD一枚だけ持ってるんだけど、OP曲以外の搦め手が現代っぽさがあって好きなので楽曲に対して真剣なオタクになりたい。

シャニマス

今回シャニを初めて見たんだけど、まだ日も浅いだろうにみんな堂々としててすごい。センターステージのアルストロメリアがぴょんこぴょんこ踊ってるとこあまりにもアルストロメリアだった。遠目から見ても雰囲気でかわいいってすごいですよ。それから放課後クライマックスガールズね、一回目の「なんばーわ゛ん゛っ!」はコールしないっていうのが徹底されてるの、あまりにも奇跡じゃないですか? いやだってぼくはたまたま流れてきたツイートで知ってたけど、ドームでみんなちゃんとやらないをやるなんて普通無理でしょ? これを奇跡と言わずしてなんと言おう。あと途中じゅりなつ案件があって叫んだ。ぜったい付き合ってる(付き合ってない)。あとストレイライトね、今回聴けると思ってなくてマジでブチ上がった。強すぎる。ユニットの仲間だけど、それ以上にステージ上のライバルって関係性が見えてくるみたいで最高だった。ストレイライトに関してはほんと高まりすぎてまだ言語化が難しい……。

まだまだ書き足りないけどいま言語化できる範囲はここまで。

秋アニメ曲の録音が終了しました!

こんばんは、ヨン様です。

さらさんがインド人もビックリな海外出張に行っている間、シュビは土曜日に録音をしておりました。 録音が土曜日に行われるのは、実はかなり珍しいことです。 編集担当のKJさんの仕事の関係で、基本的には日曜に実施することが多いのです。 おかげでいつもは録音後の遅い時間にブログを書かなければならないのですが、今日は少し余裕をもって書けそうです。

今回の録音は、アニソン合唱化プロジェクト、2019年秋アニメ曲の収録となります。 編曲は私が担当いたしました。 どの曲になるかは公開までのお楽しみということにいたしますが、今回もアツい収録だったことはご報告しておきましょう。

特に、イントロ部分の力の入れ具合については、これまでの録音のなかでも随一のものとなっているのではないかと思います。 このわずか20秒あまりのセクションのために、およそ2時間ほどの時間を費やしました。 今頃、恐ろしいトラック数の前にKJが奮戦していることでしょう。 完成するのが我々も楽しみです。

動画は10月中の公開を予定しております。 なんとか間に合うように準備を進めてまいりますので、どうぞよろしくお願いします。

それでは!

録音に行かなかった話

さらです。

今日は久しぶりに録音がありました。 久しぶりに録音がというか、"おシュし"を終えて以降初となる活動でしたね。 なお私は行けなかったので録音に関する話はできません。

行けなかった理由としては、何ともタイミング良く海外に出張しておりました。ちょうど今日帰ってきたところです。 その昔コンサート本番の日にいきなり出張が入って乗れなくなったことがありましたし、何かとこういう日に引き当てるのが上手いです。 まぁ今回は録音の日が後から決まったので出れないことは知ってたんですが。

Facebookなどのリア充SNSでは、何故か海外出張に行った人はみんな観光地での自撮りなどをアップロードしていて何だか楽しそうですが、 私の出張はクソ真面目に宿とオフィスを往復しているだけで、時間もなく観光などはしませんでした。 流石に仕事の話はここではできないので、特に話すことがありません。

ちなみに行っていたのはインドです。 日本人が訪れると皆お腹を壊して帰ってくるというあのインド。 私もレストランで出された水に口を付けないなどの極端な警戒により、なんとか今のところは無事です。たぶん。 ところでインドでは毎食カレーになるなどという根も葉もない噂がネット上で流れていますが、毎食カレーでした。もう暫くカレーはいいわと思ってたら帰りの機内食もカレーでした。

なんかしょうもない話になってきたのでこの辺りで終わりにしようと思います。 たぶん録音については明日とか明後日とかに更新されると思います! それでは。

これからの緊急伝達手段を考える

imockです。

先週末は台風がやってきまして多数の爪痕を残して行きました。私の家は川沿いではない高台にあるため無事でしたが、市内の川が氾濫し各社報道でも大きく取り上げられていたため、様々な方から安否確認のご連絡をいただきました。ありがとうございます。しぶとく生きてます。

本編

ここ最近脳内がほとんど台風と仕事で埋め尽くされていたのでその関係の話です。なお、私自身は公務員ではありません。
台風の日、皆様お住まいの市区町村から「○○川から水があふれました」とか「直ちに避難してください」などの放送が入ったと思います。専門用語では「防災行政無線」と言いまして、各地に設置されたスピーカー(屋外拡声支局)から放送される仕組みとなっています。災害時の緊急放送用途が主ですが、12時の時報や迷い人のお知らせ、選挙の投票の呼びかけなど様々な場面で活用されています。
【参考】Wikipedia:市町村防災行政無線

この仕組みが非常に重要であることは言うまでもないのですが、複数の問題点を抱えています。

  • 聞こえない
    今回の台風は雨風ともに非常に強力であったため、どの家でも雨戸を閉め、中にはテープや段ボールなどで万が一のガラス窓の破損に備えるなどの措置を取った方もいらっしゃると思います。窓を閉め切れば当然外からの音声はかなり聞き取りづらい状態となります。実際私の家では放送のチャイムは聞こえましたが内容は8割ほどしか聞き取れませんでした。
    高齢化が進行する昨今では、耳の遠い高齢者のみの世帯も多いため、聞こえないことは重大な問題です。(なお、単純に放送の音量を上げた場合はスピーカー付近の世帯から苦情が来てしまいます)

  • 費用も手間もかかる
    屋外拡声支局を1箇所新設する際の費用は柱部分が約180万円、受信・放送設備が約70万円で合わせて250万円ほどかかります。自治体の規模によって支局の数は異なるものの、100箇所設置する場合約2億5000万円かかります。一度設置すれば柱部分は40年、受信設備は15年程度使用できますが、定期的な点検は必要ですし、それに伴う維持補修費も要します。

対策

  1. 戸別受信機の配付
    【参考】「使っていますか 防災に役立つ戸別受信機」(くらし☆解説) | くらし☆解説 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室
    各世帯に受信機を配付する方法です。屋内から音声が流れれば聞こえないということはないですね。
    働き手世代であればスマートフォンの通知(ソレソシレー♪)や、防災行政無線のメール配信サービスなどで確認できるので、配付先はほぼ高齢者単独の世帯に限られます。
    ただ、送信側の設備の更新や戸別受信機そのものの費用(1台約4万円)の問題があり、なかなか普及は進んでいないようです。
    介護保険適用とかにすればもう少し普及するかもしれません。

  2. 屋外拡声支局の集約
    機器更新時に支局の位置を見直し、災害が発生しやすい地域や高齢者単独世帯の多い地域に重点的に配置する、または地域別昼間人口・夜間人口を分析するなどし、支局の総数を減らす方法も考えられます。世帯数が少ない過疎地域には戸別受信機を設置して屋外拡声支局は廃止する、スマートデバイスが十二分に普及した地域(中国の深セン市レベルで)であれば皆手持ちのデバイスで確認するため無線放送自体行わないなど……。
    特にコンパクトシティ化を進めている人口減少地域では今後考慮する必要が出てくるのではないでしょうか。

  3. 全国民にデバイスを配付する
    半分SF世界の話ではありますが、全国民に対して身分証明兼受信機のような同一のデバイスを配付すれば、緊急連絡の確認漏れは発生しないでしょう。
    マイナンバーカードにポケベル+αの受信・通知機能を付けたようなイメージです。費用面はさておき技術的にはもう可能な時代になっていると思います。
    どこかの小規模でお金持っている国(モナコルクセンブルク)あたりで実現しないかなぁ……。

まとめ

明確かつ費用面でも技術面でも現実的な解決策というのはないので、今後も検討する必要があります。少なくとも現在働き手世代ではスマートフォンが普及しており、今後は少しずつデジタルな手段に置き換えられていくでしょう。
また、現行の仕組みを管理・運用し、避難所対応も行っている自治体職員様には頭が上がりません。一時期仕事のわりに給料が高いなどと公務員叩きが盛り上がりましたが、決してそんなことはなく、目に見える部分から見えない部分まで市民の生活を日々維持・改善してくださっています。なのでむやみに市役所や避難所で職員相手にクレームするのはやめてくださいね。相手も人間です。

ミクロの視点とマクロの視点

エスです。久々にボルダリングやったらヘロヘロになったので短めに。

物事を見るときに二つの視点があって、個人の主観でみることと、客観的/大局的にみること。この二つを自分はミクロの視点とマクロの視点と呼んでます。ビジネス書なんかでは「虫の目」「鳥の目」「魚の目」などと言われるやつです。

具体例を挙げながら詳しく解説していきましょう。

■虫の目:ミクロの視点

命題:『給料が安く貧困層ができることは問題だ』に対しての解法→スキルアップをし昇給や転職など自身が変化をする。

これは個人の解決法としては非常に正しく、安月給を自分自身で解決できる/自分自身の人生における問題として捉えた場合の解決法です。主観で見た場合基本的にはこれ以外の解決法はありません。

■鳥の目:マクロの視点

命題:『給料が安く貧困層ができることは問題だ』に対しての解法→政府や企業が主導となり貧困層を生まないようなシステムを作る。

一見、上任せの案にも見えがちですが、貧困層が多いことそのものを問題とした場合はこちらの方がより解決策としての強度は高くなります。どんなに個々が能力を高めたとしてもパイが変わらなければ蹴落とされた別の人間が貧困層になってしまうと考えられるからです(実際はもうちょっと色々変化すると思いますがここでは単純化のためそういうことにしてください)。

マクロの視点で話を進めようとしてミクロ視点での反論を受けて議論がぐちゃぐちゃになっているのをツイッターではよく見ますが、問題としているレイヤーが違うので間違っていることは言っていないとしても的外れになってしまうので気をつけましょう。

■魚の目:鶏眼

鶏眼(けいがん)とは、皮膚が長期間にわたり物理的圧迫を受け続けたことによって真皮に向かって角層が楔状に増殖した状態。別名を魚の目(うおのめ)とも言う。不適切なサイズの靴を履き続けることのほか、外反母趾などの足の変形、歩行異常などが主な原因である。関節リウマチにおいても関節の破壊性変化による足の変形によって生じる鶏眼が多くみられる。

胼胝とは異なり中央に俗に芯と呼ばれる5〜10mm程の角質塊がみられる。好発部位は足趾間や第5趾の背で、中央に芯(角質塊)があって下床に骨がある部位にできるのが特徴である。 表皮の部分的切除では完治せず、刺激により拡大増殖を助長することもある。よって、皮膚科の医師による治療が好ましい。

足浴により角質を柔らかくし、医療行為としてはコーンカッターやグラインダー(角質塊である芯の除去には皮膚キュレット)で削り取った後、尿素軟膏やサリチル酸ワセリンなどで保湿を行う。

尋常性疣贅(疣)と間違えて処置を行うと症状を悪化させることもあるため鑑別と適切な治療が必要である。小型の足底疣贅は皮下の奥の方にできる為、外見上は鶏眼と区別が付かない事も多いが、こちらはウイルスが原因であり本質的に別のものである。

――wikipediaより引用

合唱人の悲しい性

こんばんは、ヨン様です。

東日本を中心に各地で台風の影響が出ているようですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 このブログは、残念ながら災害時にはクソの役にも立ちませんが、陰ながら皆様と皆様の知人のご無事をお祈りしております。

ところで、合唱人というのは何でも合唱にしないと気が済まない人種なのではないかというのが、私の最近の疑念であります。 かく言うシュビドゥヴァーズも、サブカル合唱曲を中心に男声合唱編曲を歌うというのが基本的な活動ルーティンになります。

しかし、サブカル曲を合唱で演奏することにどれほどの意味があるのでしょうか。 アニソンなどのサブカル曲は、それ自体で完成された音楽作品なのだから、わざわざ「編曲」などという暴力的行為を通じて四声体やピアノ伴奏に押し込める必要もないような気がします。 合唱編曲をすると、大抵アルトとかバリトンとかの内声が割を食って、メロディーとは似ても似つかない意味不明な半音階進行や同度連打を強いられることになります。 「それが好きなんだよ」という方は、気持ちは分かりますが、だいぶ末期ですので少し黙っていてください。 非合唱人の音楽愛好家はそんな苦行を望んでいないわけで、歌うだけならカラオケでも問題ないのです。 分かりやすいメリットと言えば、アコースティックな(非電子的な)編成だけで和音を伴った演奏ができることや、ステージ上で演奏することで作品の共有が可能になるといったところでしょうか。

編曲によって非合唱曲を合唱化させてしまうというのは、まだマシなほうかもしれません。 なぜならば、オリジナルの作品も一応音楽作品であり、加工後の形態と比較的近縁な関係にあると言えそうだからです。 ところが、最近はマスコミやSNS上のバズワードを見境なく拾って合唱の作曲をしてしまうという活動も増加傾向にあります。 これはさすがに、他の業界から「節操がなさすぎる」という批判の声が聞こえてきそうなものです。 合唱にすることの合理性をどなたかにご説明いただきたい、と。 大阪人は何でもソースをかければ料理が美味しくなると思っているとウワサに聞いたことがありますが、合唱人は何でも合唱にすれば音楽が素晴らしくなると思っているに違いありません。

こういったことを考えていくと、「合唱で歌う」ということは何も「オリジナルをより素晴らしく翻案する」ということを意味しないということが見えてくるように思います。 「合唱で歌う」ということは、ほとんど合唱人の自己満足なのです。 中にはソースをかけることで食味が損なわれる料理があるように、「合唱で歌う」ことによって魅力が損なわれる楽曲もいくらでもあります。 シュビドゥヴァーズがサブカル合唱編曲活動にためらいを持たないのも、何か高尚なことをしているという自負があるからではなく、単に自己満足であることに開き直っているからかなと思っています(他のメンバーの意向は細かく知りませんが)。

では、合唱化することはおよそ自己満足的な翻案になってしまうのだから、そんなことはするべきではないという話になってしまうのでしょうか。 それもちょっと違うような気がします。 自己満足には、見る人を楽しませたり見る人の共感を呼ぶものも一定数あるからです。 サブカル曲の合唱編曲も、バズワードの合唱作品も、それをあえて合唱というスタイルで演奏することは合唱人のエゴだとしても、それを普段合唱を聞かない、あるいは合唱を知らない人が楽しむということは、十分にありえることですし、合唱人のエゴでもありません。 もちろん、そういった作品を他の合唱人同士が楽しむということも、内輪ノリの自己満足というところからは離れたものです。

以上のことを踏まえると、自己満足とエンターテイメントの両立というのが、穏当な目標ということになるように思います。 もちろん、その結果として合唱人口が増えるとか、合唱の魅力が広まるとか、そういったことも起こる可能性があるので、そのようなチャレンジングな目標を設定することもありうるでしょう。 そのへんの塩梅が各団体の個性につながってくるのかもしれません。

というわけで、合唱人というのは何でも合唱にしたがるけど、それは自己満足である一方、全てがエゴだというわけではないというお話をいたしました。 書き終えてみればなんだか壮大な内容になってしまった気がしますが、怒り出す人がいないことを願います。

それでは!