ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

毎日更新されたりされなかったりする日記

僕が一番パソコンをうまく使えるんだ

imockです。

政府は日本中の小中学校にPCを配ろうとしているらしいのですが、お金がないとか何とかでまともに実現できるのか怪しくなってきました。日本人のPCスキルが低いので改善すべきというのは確かにそうなのですが、そもそも求められているPCスキルってなんでしょうか。Pythonbotを作る能力?シェルスクリプトでデータ処理する能力?

そんなニッチなことではなく、 一般的なPCスキル = オフィスソフトが満足に使える でしょう。実際IT企業を名乗る弊社でさえ業務のほとんどはExcel、その3割以下の頻度でテキストエディタ、たまにPowerpointを使うかなというくらいですし、他業界に至ってはPCを使うのはオフィスソフトを使う時とメールを使う時くらいでしょう。ちなみに弊社ではテキストエディタ秀丸とSakuraでシェア争いをしているあたりで察して下さい。

閑話休題
オフィスソフトとはいってもそのうち9割以上は表計算ソフト、すなわちExcelを使うわけですが、Excelを使うスキルの肝はPC操作の技術ではありません。重要なのは下記2点です。

  1. 数学的思考能力
  2. ググって資料を読む能力

表計算ソフトですからそもそもどことどこをインプットとして計算しているかを把握できないと話になりません。また、関数を覚えていなくても、ググって解説サイトを読んで理解して自分の作業ファイルに適用できればまず困りません。

で、結局のところ前者は算数や数学、後者は国語(特に辞書や百科事典を調べる経験)の能力が根底にあるのです。学校教育はやはり重要ですし、いつの時代でも基本は読み書き算盤なのです。

結論:短絡的にPCを買って配るよりも、教員の処遇を改善して良い先生が増えるようにして教育の質を上げるべき

クソ真面目ですが、日々Excelと戯れた結果クソ眠いので寝ます。スヤァ……

虚無

さらです。

こんな時間にアレですがちょっと今日はブログをお休みします。 実をいうと先週もその前もお休みしていたような気がしますが、まぁ、うん、あれだ。すみません。 色々と話すネタは溜まっているのですが、なんかこう、あれなんですよ。 まぁこんな感じであれですが、失礼いたします。

Windowsは金がかかる

imockです。

Windows7のサポートがもうじき切れるとのことで、世間ではWindows10への移行ラッシュとなっているようです。私の自宅PCは既に10なので大丈夫なのですが、PC自体が稼働7年目であり、このご時世でありながらブルーレイが再生できない(ドライブが付いていないだけでなく、ブルーレイ画質の動画ファイルを開くと重くてまともに再生できない)とか、Windows Updateの挙動が怪しいとかいろいろガタが来ているので買い換えるのもありかな、と思っています。

そして私のfinale(楽譜作成ソフト)は2014なのですが、そろそろ課金してバージョンを上げようか考えています。64bit対応しているとのことなので動作が快適になるかもしれないですし、pdfエクスポートした瞬間に落ちるとかも無くなるかもしれません。

ところがPCを買い替えてfinaleも更新するとなるとなかなかに費用がかかります。こないだ引越したばかりなのにさらなる出費は厳しいものです。どうにかならないものか……

!!!

1.PCは今のものを使用するが、OSをLinuxの軽量ディストリビューションに切り替える 2.Linuxでfinaleは動かないが、そもそも編曲素人アマチュアの私がfinaleにこだわる理由もないので、身の丈に合わせMusescoreかLilypondに乗り換える

ネトゲも辞めた今となってはfinale以外はOS依存しないはずなのです。Officeもマクロを使わない限りはフリーのもので普段使いする分にはどうにかなります。さらに他のソフトウェアもクロスプラットフォームのものが多くなってきており、多少不便さがあるとはしてもやりたいことができないということはあまりなさそうです。

ということでVM上で動作確認して問題ないようであれば真面目に乗り換えるかもしれません。

皆様もWindowsの維持に費用がかかっており、PCおよびLinux基礎の知識があるのであれば、Linuxへの移行を考えてみてはいかがでしょうか。

闘魂!ケモナーマスク収録の話(収録環境)

www.nicovideo.jp

編集担当KJです。冬コミ音源でいい感じに修羅場ってます。

今は文章を書いてる余裕ないので、前にメモっていたこちらの音源の話を纏めて載せていこうと思います。ちょっとアップロードから間が開いてしまいました。

といっても私の担当は主に収録面なので、歌や動画、編曲等についてはまた別の視点からのレビューがあるかもしれません。

さて、この音源、録音面を語る上では外せないポイントが2つあります。

まず1つめは収録環境です。

この曲は7人で歌っているのですが、音の質が今までと微妙に変わっているのに気づいた方はいらっしゃるでしょうか。かなり微妙な差ですが、人数がいる割に個人個人の音がクリアになっています。

今回の音源はマイクが増えているのです。

今まではパートに1本の4チャンネルだったのが最大8チャンネルに増えました。

これにより、全員の音を個別に録音・編集出来る様になり、それぞれの細かい調整が効くようになり、私の仕事が倍になりました

私はよく音声編集の作業を料理に例えますが、このインプット(マイク)の数はコンロの口のようなものです。1口だけのコンロと2口・4口のコンロではそれぞれの火加減の調整や同時に進められる作業の数、つまりは作れるものの幅が大きく違って来るのはおわかりでしょう。

一方で出来る事が増える分、扱うのにも手間や技量が要求されます。

今回のは8本なのでコンロで言えば8口コンロという事になりますね。

私は家にせっかく2口コンロがあっても、パスタをゆでながら隣でスープ用のお湯を沸かして喜んでいる様な低レベル人間です。3口目に手を出した辺りで手際が追いつかず、火災や爆発を起こすのは目に見えています。8口なんてコンロがあるのかは知りませんが、私が動かしたらきっと臨界事故でも起こすでしょう。

ただ食材はともかく、音源を料理する分には時間をかけて試行錯誤することが出来ます。

全員の声質を鑑みてそれぞれの特性をややオーバーに強調するのはもちろん、音がクリアになったぶんクリアに入ってくるノイズも全部のトラックから取り除く作業(人数分のポップガードほしい)が入ります。つかれた。

また、各人の声がクリアに収録できているだけに音の距離感も近く、圧力も以前にもまして強くなっています。めっちゃ手前まで迫って歌われているイメージ。(実際そんな感じで録ってますが)

ここまで近い距離感は既成音源の世界ではあまり一般的ではなく、調整を加えようかどうしようか少し迷いました。

結局、いろいろ手をかけてみたものの、アニソン合唱化企画の短い製作期間では画期的な変化とはならず、シュビから圧力をとりのぞいた所で別に面白くならないという事が分かったのでそのままに。

今のところはクリアさで押し切っていますが、残響の計算等が終わったらもう少し空間と共に聴いている臨場感を出す調整に挑戦して行きたいところです。というか冬コミ音源で挑戦中です。終わりません。たすけて。

以上がケモナーマスク音源で外せないポイントの1つ目、マイク環境でした。 2つ目は家です。飽きたので来週書きます。家です。

12月のもろもろ

こんばんは、ヨン様です。

気が付けばもう12月ですね。 皆様、いかがお過ごしでしょうか。

最近のシュビドゥヴァーズは目立った活動もなく、実際特に何もしていないのですが、ようやく次の録音日程が決定いたしました。 今のところ、12月15日に実施予定です。 久しぶりの録音で腕が鳴りますね…!

今回の録音企画はちょっと特殊で、フルコーラスではあるのですが特にCD化の予定はなく、ウェブでのアップのみとなりそうです。 なるべく早い段階で公開できればと考えておりますが、どうなることやら…。 また録音の当日に詳細をアナウンスできればと思います。

12月と言えば、副次的文化系合唱祭でもご一緒させていただいた「パンドラボックス」さんの演奏会が控えていますね!

・合唱団パンドラボックス 第二回単独演奏会

日時:2019年12月21日(土) 場所:高津市民館 大ホール 入場料:無料

chorus-pandorabox.jimdo.com

この演奏会では、私が編曲した「ポケモン」曲集の混声版の全曲初演があります。 私も地べたを這い泥水をすすってでも会場に行きたかったのですが、どうしても外せない仕事と重なってしまい、当日の演奏会には参加できないこととなってしましました…。 ご興味がある方は編曲者の分も楽しんできていただければと思います!

というわけで、12月のもろもろのお知らせでした。 2019年に思い残すことのないよう過ごしてまいりましょう。

それでは!

hololiveはてぇてぇなぁ

アズレンhololiveコラボ開催中です。

エスティオです。

最近社畜になってきてるのではー?とか考えてたけど割と残業回避してました。 精々20h/月程度に収まっているので今後も意識低い系社会人で行きたいと思います。

ところで、VTuberグループのhololiveがアズレンとコラボ中です。 前回はキズナアイとのコラボだったのが箱でのコラボということでまあ出てくる出てくる。 獲得方法がキャラによってはガチャ以外でもいけるなんて周回するしかないじゃないですか(歓喜) ときのそらを手に入れたらホーム画面にいてもらうんだ…

あと一日で週末なので仕事にイベントに頑張りましょう。

それでは

「楽典」と「浄書」の違いについて

こんばんは、ヨン様です。

例によって隔週更新のようになってしまいましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。 忙しいからと言っていてはブログの更新は始まらないので、今日は「楽典」と「浄書」の違いについて簡単にまとめたいと思います。

「楽典」というのは、簡単にまとめると「(西洋音楽の)記譜における規則、およびそれに関連した理論的知識」というようにまとめられるかと思います。 一方、「浄書」というのは「清書」と同じような意味で、「読みやすく譜面を整える作業」のことを指します。

「楽典」というのは、言語でたとえるならば「正書法」に相当すると言えるでしょう。 当たり前のことですが、音声としての実態をもつ言語とその文字表記との間には、一定の規則性があるとしても、多くの場合ずれがあります。 日本語の場合、例えば助詞の/wa/は発音通り「わ」と書かずに「は」と書きますし、「書く」を勧誘の意味で言うときは「書こお」ではなく「書こう」です。 これらの例では、実際の発音と表記の間にずれがあることになります。 また、「続く」のかな書きは「つづく」であって「つずく」ではありませんし、「縮む」も「ちじむ」ではなく「ちぢむ」です。 これらのケースでは、複数ありうる表記に対し、どちらか一方の表記が選ばれていることになります。 今見てきたような語の場合には、「このような場合には、こちらの表記を採用する」といった規則と、それを理解するための最低限の言語的な知識(助詞とそうでない品詞の区別など)がなければ表記を決定することができません。 このような、「ある語に対してどの表記を採用するか」という規則や規定が正書法です(日本語の場合、漢字を含めた正書法は確定されているとはいえない状況にありますが、仮名遣いに関しては、おおむね書記の規則が確立されていると言えます)。

以上のような表記の選択は、歴史的な経緯や弁別性など、さまざまな要因が絡んで現在のような形に落ち着いているのですが、楽典にも似たような事例があります。 例えば、移調楽器においては、実音と楽譜上の表記をずらして記譜する習慣があり、B♭管のトランペットは楽譜上のC音が「B♭」に、F菅のホルンでは楽譜上のC音が「F」になります。 これは日本語における助詞「は」の表記の問題に似ています。 あるいは、平均律においては「異名同音エンハーモニック)」と呼ばれる音の組み合わせが存在し、「F#」は基本的に「G♭」と同じ音高を表し、「C」は「B#」と同じ音高を表しています。 これは、日本語における「つづく」などの表記の問題と類似していると言えるでしょう。 いずれも楽器や楽理に関する歴史的な変遷に起因するもので(移調楽器は楽器の持ち替えの歴史から、エンハーモニック純正律から平均律への変化から、それぞれ生じたもの)、音楽の正書法である楽典とそれを理解するための知識(どの楽器が移調楽器か、など)がなければ、表記を決定することができないと言えます。

では、「浄書」とはどのようなものでしょうか。 この場合も、言語の例が役に立つかもしれません。 例えば、「は」という仮名は、どのような大きさで書いても(「」)、どのようなスタイルで書いても(「」)、どんなにくずれた手書きの字体であっても、一定の形態的特徴さえ備えていれば、仮名の「は」であると認識することができます。 このような、具体的な書記の場に左右されない文字の単位を「文字素」と呼ぶことにしましょう。 正書法は、特定の書体で書くことを想定していない抽象的な規則なので、いわば「文字素」の規則であるということができます。 それに対し、任意の仮名「は」をどのような大きさのどのような書体で、どこに配置するのかという問題は、いわば「は」という文字素とは(したがって正書法とも)直接関係のない、文字の視認性やデザイン性にかかわる問題です。 これが清書やタイポグラフィーといわれる分野が扱う文字表記の問題であり、楽譜で言う「浄書」の領域に相当します。 したがって、「浄書」というのは楽典的に正しいことが前提となっている楽譜について、その表記上の整理を試みるという作業になります。

楽譜というのは、文字に比べて図像的性質の強い表記体系なので、だいぶ事情は異なりますが、基本的には文字の清書において注意が払われる点については楽譜の浄書においても問題にされると考えてよいでしょう。 例えば、四分音符「♩」は、どのようなフォント、大きさ、粗雑さで書いてあっても、一定の形態的特徴を備えていれば四分音符であると認識することができるので文字素(音符素?)に相当する単位を表すことが可能であると言えます。 そのうえで、使用するフォント、大きさ、音符間の衝突回避などに配慮する必要があるわけですが、この点は文字表記と基本的に同じです。 文字と音符(楽譜)の場合で大きく異なるのは、おそらく後者がより時間経過に忠実であるという点でしょう。 音楽においては、言語よりも時間的な拘束力が高く(例えば、言語において1分間における音節の数が指定されることはほぼないが、音楽においてはしばしば1分間における特定音価の数が指定される)、それを初見演奏などの高度な認知・実演能力を駆使して実行することが求められます。 このような性質もあり、楽譜の表記は総じて時間的展開に関しては文字に比べてはるかに敏感だと言え、松葉型のクレッシェンドなどは、持続時間に応じて伸縮するという(一つの表記単位としては特異な)性質を有しています。

以上のような概観から、おおむね「楽典」と「浄書」の違いについては整理できたでしょうか。 例えば「異名同音」などの使い分けは、初学者にとってなぜ複数の表記があるのか理解しがたい点の一つであり、「浄書」や好みの問題と誤解されることも多いように思われます。 しかし、無調的な場合など一部の例外を除き、調性音楽ではどちらの表記を採用するか一義的に決定できる場合がほとんどです(詳しくは楽典や和声の本を参照していただければと思いますが、多くの場合借用した調の音の表記を採用することになります)ので、これは「楽典」に属する問題だと言えるでしょう。 「D-F#-A」のような和音を、「D-G♭-A」と表記するのは、音としては同じでも、「つづく」と書くべきところを「つずく」と書いているのと同じような問題を抱えていることになるのです。

というわけで、「楽典」と「浄書」に関するまとめでした。 不正確な記述があるかもしれませんので、その点については顕学の教えを乞いたく存じます。

それでは!