ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

毎日更新されたりされなかったりする日記

今度こそ真面目にエヴァの感想を書くことにした。

エスです。

昨日はネタバレに配慮して内容を全く書かなかったので今日はちゃんと触れていきます。といっても先に書いたのはこっちの方なんですが。

 

 

エヴァを見てきました。

一切の感想も見ずに今この文章を書いています。

 

自分は小学生の時に友人に勧められて見たエヴァにどっぷりハマり、人生を踏み外しました。そこから高校、大学の途中までほぼエヴァに浸かって過ごし、考察から二次創作まで思いつく限りのサイト巡りをしていました。今でもブックマークに入っているサイトもあります。拙いながら自分で書いた二次創作もそこに置いてあります。懐かしい……すべてが懐かしい……

通じる人にだけ通じればいいのですがLRS派です。

 

今作、正直そんなに期待はしていませんでした。

序破でこれは! と思ってQで梯子を外されてしまったので、旧劇のときみたく投げっぱなしのデカい問いをぽんと渡されてあとは自分で考えろってされるのでないかという思いがあり……どちらかと言えば青春時代の残滓、或いは呪いを拾うつもりで見に行きました。

幸いネタバレは踏まず(というかおっさんの膀胱事情しか流れてこなかった)、まっさらな状態で視聴に臨めました。

 

■対話を拒否し続けたTV版と、対話を選ぶことのできたシンエヴァ

シンエヴァにおいて目立ったのは、それぞれがちゃんと対話をしていたことです。あたりの強いアスカですら自分の思っていることを言語化して相手にぶつけることができているように見えました。大人になったトウジやケンスケにヒカリはもちろんのこと、Qでは対話を拒否していたヴンターのひとたちも(シンジに対してだけでなく)自分の思い/考えていることを相手に伝えようとしていました。エヴァに乗ろうとするのを止めようとしたピンク髪のクルーや鈴原サクラも拙いながら自分の言いたいことを言えているという印象を受けました。それも、クライマックスシーンはゲンドウとの対話だったからと考えると納得です。

かつてTV版は誰も対話をしようとせず、各々が自分の内心にしか意識を向けず他者を拒絶していました。ヤマアラシのジレンマの通り針で傷つけあうことしかできない世界でした。自分の思っていることは誰にも伝わらず、誰からも伝えられず、絶望と拒絶のATフィールドを消し去る虚無の人類補完計画が行われようとしていたのです。

実際の描写においてもTV版の補完計画は諦め/絶望/虚無といった色合いが濃く描かれているように思います。

シンエヴァにおいて、彼らは/私たちはついに対話を行います。ATフィールドで拒絶するのでもなく、境界線をなくして溶け合うでもなく、ATフィールドから手を差し出してつながる世界。不器用に「あなたと仲良くしたい」とおまじないを唱える世界。

ゲンドウやリツコ、ミサトを含む全ての子供たちが大人になっていく物語。

成長と対話。この答えを我々は何年間待っていたのでしょうか。

庵野監督自身、旧劇で大きな問いを投げたときは答えが出ていなかった、もしくは言語化できていなかったのではないかと思います。「それでいい」でも「これじゃあだめだ」でもなく「これでいいのか?」という問い。その答えが劇中になかったからこそエヴァは社会現象になり、考察や二次創作は盛り上がったのです。

そしてその答えが出た。出たからこそ庵野監督はエヴァを終わらせた、いや、終わらせるために必要な答えが出たというほうが正しいのでしょう。

子供たちは大人になり、他者と歩み寄って現実に還った。君たちも現実に向かう時が来た。そういうことなのでしょう。

 

■マリについて

イスカリオテのマリアという別名の情報が出てきましたが、イスカリオテというのはイエスキリストを裏切ったユダを指し、神(の落とし子であるエヴァ)への裏切りを意味します。

マリアの方は二つあり、一つはキリストを処女懐妊した聖母マリア、もう一つは元娼婦(諸説あり)であったとされるマグダラのマリアでしょう。「どこにいても見つけ出す」「迎えに行く」と言う姿は新世紀の聖母のようでもあり、他方で他者への誘惑を行い唆す姿は娼婦にも見えます。またアダムとイブに知恵の実を食べるよう唆し、人間を神の庇護から離れさせようとする蛇/悪魔を見るのはすこし考えすぎでしょうか?

マリだけは現状を楽しんでいます。どんな状況に陥ってもそれなりに楽しんでいるように見えます。「私はこうするけど、あなたはどうする?」のスタンスが常にブレない。最も現実に足をつけた生き方をした、エヴァ特異点たる存在。

マリはかなり安野モヨコの影響があると思っています。

そも、レイは母親、カヲルが父親、アスカが初恋の人、マリが今カノだと思うんですよ。

自分のことで精いっぱいだった子供時代が終わって、他所からやってきたものとくっついて外に向かって走り出す。これ、まんま庵野秀明安野モヨコじゃないですか?

安野モヨコの作品はいくつか読んだことがありますが、あくまでも現実に足をつけて生きている人間たちの作品を描いているように思えるんですよ。特に今作で思いだしたのはラブ・マスターXの最後のシーンです。

 

■そんなことはさておき

ここからが俺の言いたいことの本番なんですよ。いいですか。

冒頭でも書きましたが私はLRS派です。レイがどのように幸せになってくれるかに青春時代の大半をつぎ込んだんですよ。それが今作はどうだ?

最っっっっっっ高にかわいい綾波が見れたんですよ!!!わかるか? おいシンジそこでヘタってる場合じゃないだろ綾波レイを見ろ!!!!!!お前が見てないところで!!!!!!!!!レイが!!!!!!あんな表情を!!!!!!!!お前に!!!!!!!!!見ろ!!!!!!!!!!!!!!!!でもちゃんと最後名前を付けようとしたところはめちゃくちゃに褒めてやるからな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

最終的なところについては映画としては解釈一致、それに文句はありません。だがしかぁーし! それでも俺はレイとシンジにくっついてほしい! くっつけ! 幸せになれ!!!!!!!!二次創作でろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

それでですね、LRS派の大半はLAK派でもあるわけなんですが(やや語弊)、今回ケンスケとくっついてますよね。でもそれはそれでアリなんですよ特に今回の展開なら。マリとシンジがくっつくのに納得するくらいにはアリです。

それはそれとしてぇ!!!!!!!!!LAKは俺が見たいから書けェ!!!!!!!今回何の接点もなかったぞオイ!!!!!!!!!!!

数多のサイト巡りをしてきた自分が改めて言いますが、もっとLRSとLAK持って来いやオラァン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!お願いします!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!