ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

毎日更新されたりされなかったりする日記

いちょうへたまつていくかなしみ

imockです。

 

先週日曜からへその斜め45度上、右肋骨の真下あたりがピンポイントで痛み出しまして、3日くらい経っても治らないので内科に行ったところ、腸にガスが溜まっているとのことで整腸剤を出されました。

 

それから数日経ち、一向に治る気配がない中、仕事は在宅勤務ながらも納期が迫り、後輩社員の面倒見てたら自分の仕事が進まず、仕事上のミスも増え、腹痛もより酷くなり……

 

「あ、これ内科案件じゃない。ストレスが原因のやつだ」

 

納期には逆らえないので堪えつつ仕事をしていましたが今週頭に限界を迎えました。具体的には【禁則事項です】

 

コロナ騒ぎの中、精神含め体調を崩されている方も多いと思いますが、皆様くれぐれも、くれぐれもご自愛ください。

春アニメの録音どうする?

こんばんは、ヨン様です。


最近記事をサボりがちでよろしくありませんね。
本日はリハビリも兼ねて更新いたします。

昨日、シュビドゥヴァーズの会議が行われました。
議題はアニソン合唱化プロジェクト2020年春アニメの選曲です。
選曲自体は比較的スムーズに話がまとまり、落ち着くところに落ち着いたのではないかと思います。

今回の問題は録音です。
周知のとおり、現在はなかなか人が集まることの難しい状況です。
ところが、合唱の練習や録音ともなると、歌い手同士ががっぷりよつに組み合い、キスする三秒前な距離に接近することも珍しくありません。
男声合唱ともなればなおさらでしょう。
そう、録音とはまさに「三密」のオンパレードなのです。
歌を歌い、楽譜と遊んで生きてきたのんきなシュビドゥヴァーズですが、今それをやってしまうといろいろとシャレになりません。

このような状況のなか、普通なら「もう録音なんてできない!」と思い、あきらめてしまいそうなところです。
しかし、できないと思ってしまえば最初からできませんし、できるかもしれないと思えば可能性が拓けてくるもの。
シュビドゥヴァーズでは、この困難な状況を打開すべく、遠隔での録音を敢行する予定です。

そんなわけで、今回はかなり特殊な録音体制で収録することになります。
なにぶん初めてのことでどうなるか分かりませんが、今後いつまで対面での録音が難しい状況が続くのか分かりません。
まずは試験的にでも、遠隔での録音を実行できればと思います。


これから春アニメ曲がアップされたとしても、自粛要請を無視したものにはならないはずなのでご安心ください。
これを機に、録音の新たな可能性を開拓できるといいですね。

それでは!

在宅勤務?知らない言葉でしたねえ…

在宅勤務ってもっとゆったりしたものじゃないんですか…?

週の半分は在宅勤務。こんばんはエスティオです。

とてもお久しぶりです。が、その間にいろいろありました。

人生初のまともなボーナスが出たり税金で結構取られたり確定申告で取られたり… 10まんえんくーださい^^

とまあコロナさんちの新人が鮮烈なデビューをきめた中、私はGWの帰省を会社から禁じられました。(一応自粛) 頭ではわかってるんですが、「じゃあ、連休秋ぐらいにずらしてくれないカナー」というのが本音。

いや、どこにも行けない中で色々忙しい時期に連休入って無駄に家に引きこもるくらいなら休みをもっと後にして仕事した方が効率良いでしょう?そういうことです。

最近はVTuberがこぞってあつ森をやる中で、絶対switch買わないドラゴンのやるARKとかRAFTやらを見てます。あつ森も見てます。あつ森については切り抜きが優秀。 あと朝ココをちゃんとキメることで精神的健康を保てています。

あ、最近だとひととせ探偵団とかもいいと思います。

それでは

「バカが考えた東京地図」まとめ

エスです。関東に暮らして8年、未だに地理が分からない。


そんな人間がこんなことを言い出してしまったのがそもそもの間違いだったわけです。
事の始まりは「山手線で内回りと外回りが分からないなら時計回りと反時計回りで考えればいい」という話を聞いて、どっちが時計回りか分かってもどこに何の駅があるのか分からなければ何の意味もないのでは? というのがきっかけです。


以前町田住み、現柏住みなので町田-新宿、北千住-秋葉原ルートはなんとなく把握。御岳にボルダリングしに行ったことがあるので青梅が東京、御岳がすぐ近くなのは知ってた。あとは知ってるところを思い出した順に配置。


皇居は自転車で東京行くときの中継地点なんだけど自転車のルートと電車のルートと地図が全く連動していないのでかなり直感で配置。


目白にはカラファテっていうクライミングツール専門のかなり有名なお店があって、何回か行ったことがあるのでこの配置は完璧。間違いない。


立川はどう考えてもここでしょ。


暗黒地帯はおそらく田園だろうとの予測からつまり田園と都市を繋ぐ路線! 田園都市線はここだ! 位置的にたぶん府中あたりから出てるだろ。


東京もかなり充実してきた。100点とは行かずとも85点くらいはとれる地図だと思う。八王子の位置を調整した結果かなり怪しい配置になった。




それでは正解を確認してきます。

……………………
…………
横浜って東京じゃないの?????????






以下思考途中で収穫された新鮮なバカ発言






みんなもやろう。

デジタルの力できれいな部屋を手に入れよう

さらです。ご無沙汰しております。
ちょっとバタバタしていてブログどころではありませんでした。すみません。
ブログ進捗管理とはなんだったのか。


「精神が荒れてくると部屋が汚くなる」「部屋の散らかり具合は心を映し出す」みたいな文言を何度か見かけたことがあります。
もしそれが事実なら、私の心は何年間荒れたままだったのでしょうか。

まぁ部屋が汚いと色々とテンションが下がるというのは事実です。
特に最近はリモートワークしろだのとお国から言われ、家にいる時間を強制的に長くされてしまう可能性もあります。以前ほど「どうせ日中は家にいないし」みたいな自分への言い訳が通用しなくなってきています。
リモートで会議とかをすることになると、webカメラで自分の部屋を映さないといけないシチュエーションとかも登場します。散らかった部屋で生活している輩がweb会議する際には「カメラの画角内では一見片付いて見える角度」みたいのを事前に探す仕事に工数を取られます。AIにとって変わられない仕事。

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議論するときに考えていること

エスです。iPadで記事書いてたら急に再読み込みされて書いてたものが全部消えたので思わずソファにぶん投げました。

Twitterに限らず公共の場で議論する際にいつも考えていることなんですが、目の前で議論を交わしている相手を論破するのではなく、その周りにいる聴衆をいかに納得させるか、というのを頭に常に置いています。
自分が考えを変えないのと同じくらいには相手も考えを変えないとすると、そこでの意見のぶつけ合いによって相手の考えを変えさせようとするのは不毛なわけで(前提条件のすり合わせなどはもちろんやることとして)、どうせ同じ労力をかけるなら周りの聴衆を納得させる方向に動いた方がお得だと思うんですよ。
マナーを守ったり、礼儀正しく接したりするというのもそれの一環で、仮に自分が間違ったことを主張していたとしても礼儀が正しければそれほど悪印象は持たれないんですよね。逆にどんなに正しくとも罵詈雑言を発する人間を好きになる人はそれほど多くはないわけで。
周りの印象を良くしておけば間違ったときに許される確率が上がるのでやったらやっただけお得になります。
逆にめちゃめちゃな言いがかりをつけてくる相手なんかはむしろボーナスステージで、真摯に対応する(フリをする)だけでイメージアップしますし、多少雑に扱ったりおもちゃにして遊んでもそれほど印象が落ちません。
結局最終的にジャッジするのは自分ではなく周りなので、真っ当に生きておくとそれなりに得しますよ、という話でした。

映画版キャッツをとりあえず批判しとけばいいとか思ってるタマネギ野郎

エスです。ちょっと前ですが映画版キャッツを字幕で見たのでそれの感想などを書こうかと思います。
自分はロンドン公演版を舞台で見て、そのあと映像版を穴が開くほど見て覚えたクチで、劇団四季のものは見たことがありません。なので日本人の一般的なキャッツファンとはまた違った意見になるかもしれませんのでご承知おきを。
あと見た人、もしくは知ってる人向けの要素が強いのでこれから見ようとしてる人にはあんまり参考にならないんじゃないかなと思います。まあこんな場末のブログ見てキャッツ見にいことか思う人そんなおらんやろうしええか。

前にトゥギャッターとかで映画版キャッツが散々にこき下ろされたまとめを読んでたのでどんなもんかと思って行ったら、想像より全然良かったです。タマネギとか言ってたやつは誰だ?
良かったところと悪かったところ、それから評価とは無関係な個人的な拘りをそれぞれ挙げていこうかと思います。




■良かったところ

☆ストーリーとキャラ仕立て
感想を漁る限り「ストーリーが薄い」というのが散見されますが、そもそもキャッツにストーリーらしいストーリーはほとんどありません。キャッツの魅力はそこではない。「ストーリーがないからダメ」とかいうキャッツのことを何もわかってないふざけたタマネギ野郎は硫化アリルでも飲んどけ。
舞台においては見に来た人間が舞台の上の猫たちの神秘を垣間見るような作りになっていますが、映画で同じようにするのは困難で、そこをヴィクトリアを主人公として再構築することで映画として作り直したことがまず第一ポイントです。
ヴィクトリアは舞台ではグリザベラに最初に触れる役目を持った白く美しい猫で、個人のナンバーはなく、主にダンスを担当しています。ジェミマという子猫がグリザベラの「memory」を歌い継ぐのですが、映画版ではヴィクトリアに統合されてます。
他にも役割の統合や再編されている猫は多く、語り手のマンカストラップはより語り手、リーダー猫として目立つ位置になっていますし、ボンバルリーナ(と、マンゴジェリー&ランペルティーザ)などはマキャベティの相棒の立ち位置に変わっています。マキャベティはよりストーリー上で相対すべき悪役としての立ち位置が強なっており、それに対抗する気弱で臆病なミストフェリーズ、という対比もまた良い。それぞれストーリーの分かりやすさの為に再解釈、或いは猫の視点から見た彼らが表現されているのが分かります。というかミストフェリーズめちゃめちゃ美味しい役どころですよね。
舞台の映像化ではなく映画化なので、これでいいんです。「○○が映画化、アニメ化、舞台化、漫画化」みたいに媒体が変わるとき、その媒体に合った表現や解釈に変え、今までリーチしていなかった層に届けるのがこういった事業のキモなので(もちろんそれは最終的な利益が出ることが最低ラインではありますが)、私はこうした再解釈には賛成したいし応援したいところです。


☆曲
アレンジや書き下ろしの新曲が良かった。前述の通りヴィクトリアはダンス主体の猫なのでナンバーがなかったのですが、今回主人公役になるにあたり捨て猫や子猫属性、外様の猫であるといった要素が追加され、それに合うように新しい曲が書き下ろされました。この属性とこの曲があることで、よりヴィクトリアがグリザベラに触れジェリクルキャッツへ導くことの説得力が増します。
あと大幅なアレンジがあったのはスキンブルシャンクスのナンバーですね。舞台版から比べタップダンスが追加されたことで、より「鉄道猫」らしさが出ました。
どの曲に限らずとも、やっぱみんな歌めちゃうまだよな……



■悪かったところ

☆神秘性の欠如
前述しましたが、『キャッツ』舞台は見に来た人間が舞台の上の猫たちの神秘を垣間見るような作りになっています。パントマイムや群舞のシーンも多く、現代のミュージカル舞台と比べると伝統的でクラシカルな面が強いことも それを後押ししています。
そこにはそれぞれの猫の尊厳があり、威厳があり、神秘があります。ストーリーがないというより、彼らの中ではストーリーがあるが、我々人間には神秘に隠されて窺い知ることしかできない、というのが正確なところでしょう。 猫という不思議で神秘の生き物、彼らが何をしているのか、それを分からないなりに一端に触れて想像を巡らす――キャッツはそういった楽しみ方をする作品です。
映画版はより等身大の猫が描かれており、分かりやすくなった半面その神秘性は薄れてしまいました。マキャベティなんかはそれが顕著で、ちょっと俗物というか、小物っぽくなってしまった部分があります。ストーリー仕立てとの両立が難しい部分なのでしょうがないとは思いますが……

☆映像の見せ方
ここは地味に大きいポイントかなと個人的には思っています。
具体的には、
・群舞のカメラワークが近すぎる、もっと全体を映してほしい
・ジェニエニドッツのゴキタップ、リアルにする必要あった?
この二点かなーと。
特にジェニエニドッツに関しては、「私はこういう猫だよー」って紹介をジェリクルナイトで行うって設定なので、舞台版のように他の猫がゴキとかネズミに仮装して踊るとか、映画版では本筋と関係ないから省略されたランパスキャットのナンバーみたく、あくまでも他の猫が演じるという方向性な方がストーリーとしての通りが良くなったんじゃないかと思います。
映画版でも例えばアスパラガスのシーンは(ミストフェリーズの力を見せるという意図もあるとは思いますが)あくまでもジェリクルの舞台上で完結していたのでそっちの方向でいけなかったのかなあと。そういえばジェリーロラムとかほぼ完全なモブ猫になってたよね
それ言うとスキンブルシャンクスの舞台が汽車になるシーンなんかはどうなのって話なんですが、あれはあれでけっこう好きなのでうーん。まあ舞台で猫たちが適当な部品を持ち寄って汽車を模したオブジェを作るシーンの方が好きではある。どっちも好き。

☆最後のオールドデュトロノミーのカメラ目線
いやーこれね、舞台だと客席の人間たちに向けて歌うナンバーなんですけど、舞台だと猫の世界を垣間見る人間って構図になるのに対して、映画だと猫の世界そのものを映してるところに強烈なカメラ目線の違和感がすごい。舞台はしばしば第四の壁を破る手法を使うのに対して、映画はあんまりないしあってもかなり特殊じゃないですか。ストーリーの作りとそこの整合性が取れてなかったのが厳しいところありました。






■個人的な拘りポイント
どうでもいいので読み飛ばしてもいい箇所です。一番語りたい部分だけど。

ラム・タム・タガーはミックジャガー風じゃないとダメなんだよ!!!!!!

タガーのカリスマがない! どういうことだ! 俺はあの跳ねっ返りのロックスターが大好きなんだよ!! オールドデュトロノミーにも敬意は払ってるけど彼なりの敬意の払い方だったり、マキャベティの襲撃後ミストフェリーズに頼もうって言いだすのが彼だったり、そういうのがいいんじゃねえか!!!
舞台版だとミストフェリーズは自分のナンバーを自分で歌わないんだけど、唯一声を出すのがラム・タム・タガーのナンバーだったりするのが……そういう……物静かなミストフェリーズと騒がしいタガーが信頼し合ってるとか……そういう……わかれよ!!!!!!!!!
いや映画版も歌はうまかったけどさ! そうじゃないんだよ! カリスマの問題なんだ!!!!!!
まあ……そりゃさ……マンカストラップにリーダーの役目を集約させるにあたってスポイルされるのはさ……わかるよ……うん……









結論:舞台版を見ろ。劇団四季でもいいし映像版ならプライムビデオで安く見られる。15年前だけど全然古臭くない。