ゲームのBGMにおけるボイス音源について
こんばんは、ヨン様です。
最近ゲームをしていて思ったことですが、BGMの使われ方で特徴的なことがあるように思います。
具体的には、BGMでボーカルやコーラスが入った曲が増えてきているように感じられるのです。
もちろん、それにはゲームの大容量化というハード面での進化がある一方、それだけではただちにボイス音源が使われることにはなりません。
どういう要請によって使われるようになっているのか、少し詳しく見ていきたいと思います。
ボイス音源がゲームで古くから使われるようになったのは、主題歌としての起用がもっとも早いものでしょう。
作品全体の世界観を映し出す看板のような存在として90年代頃から使用が始まり、FF8の《Eyes On Me》などでは、曲としての注目度も高かったようです。
最近では、このようなボイス音源の使われ方はかなり一般的になってきました。
しかし、必ずしも全部のゲームで徹底されているわけではありません。
先日発売日が公表された「スーパーマリオ オデッセイ」では、“シリーズ初となるボーカル曲”が使われています。
逆に今まではマリーシリーズで使われてこなかったのかと、私自身少しびっくりしましたが、世界観を言語化してしまうボーカル曲というのは、それだけ強力なイメージの牽引力を持っているということなのです。
技術的に可能になった現在においても、主題歌にボーカル曲を使わないゲームはたくさんあります。
ここで重要なのは、ボイス音源が最初に用いられたのが、主題歌という、ゲーム作品の根幹を支える要素に用いられているという点です。
つまり、ボイス音源は登場初期から他の音源よりも高い地位を与えられ、特別な扱いを受けてきているということになります。
これは、先ほども述べたように、特にボーカル曲に関しては非常に強力なイメージ訴求力を持っているからだと考えられます。
そして、最近ではボイス音源の使用領域がさらに広がりつつあるように思われます。
ボイス音源には、ざっくり言うと、ボーカル曲とコーラス曲があります(厳密には、キャラクターのボイスもボイス音源ですが、ここではBGMに含まれるものを問題にします)。
ボーカル曲は、歌詞を伴ったいわゆる歌としてのボイス音源であり、コーラス曲は、楽器としてボイスを使うことに主眼が置かれており、歌詞はボカリーズだったり、現代人にとっては死語に相当するラテン語が歌詞になっていたりするボイス音源です。
ボーカル曲については、依然として主題歌としての起用が主流であるように思えます。
それは、ボーカル曲の訴求力が高すぎて、作品の導入・終結部や、シナリオの高揚のピークでしかうまく機能してくれないからでしょう。
一方、コーラス曲は、必ずしも作品の世界観を反映させたものではありません。
明示的な言語化を伴っていないために、訴求力についてはボーカル曲に次ぐ位置づけにあるからです。
しかし、ここで興味深いのは、コーラス曲のほうも、やはりここぞというときに使われている、ということです。
例えば、ラスボス・強敵との戦闘において、通常の戦闘とは違ったコーラス曲が使われたりすることは最近よくあります。
私がプレイしたゲームでは、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」や「ファイナルファンタジーXV」もそうでしたね。
つまり、ボイス音源は、主題歌以外の場においても、特別の待遇を受けていることになります。
なぜ、楽器として声が用いられているコーラス曲においてもボイス音源が特別の待遇を受けているのでしょうか。
それは、人の声そのものが楽器として特別な地位を占めているからということにほかなりません。
オーケストラの曲、例えば、「第九」でも、第4楽章の「例のコーラス」に至るまでの道のりは、正直にいって非常に長いものに感じられます(慣れるとその道のりを楽しめるようになりますが)。
しかし、いざ「例のコーラス」の部分に到達すると、コンサート会場でいびきをかいていたおじさまも突如として覚醒し、(たとえドイツ語の歌詞を全く理解していなくても)コーラスの絶唱に耳を傾けはじめます。
私たちは、ボカリーズだろうが歌詞が意味不明だろうが、「人の声である」というだけで、生理的に注目する傾向にあるということなのです。
以上みてきたように、ボイス音源は、ゲーム音楽として登場した初期から重要な地位を与えられてきました。
一方で、近年ではコーラス曲の採用も増え、依然としてBGMとして特別な待遇を受けています。
それは、ボイス音源がインストゥルメンタル(器楽音)とは、明確に異なった位置づけを与えられているからであると考えられるのです。
これから先も、ボイス音源はBGMとして他の音源とは一線を画するものであり続けるでしょう。
今後どういったBGMが登場するのか、楽しみに待ちたいと思います。
それでは、また。
最近ゲームをしていて思ったことですが、BGMの使われ方で特徴的なことがあるように思います。
具体的には、BGMでボーカルやコーラスが入った曲が増えてきているように感じられるのです。
もちろん、それにはゲームの大容量化というハード面での進化がある一方、それだけではただちにボイス音源が使われることにはなりません。
どういう要請によって使われるようになっているのか、少し詳しく見ていきたいと思います。
ボイス音源がゲームで古くから使われるようになったのは、主題歌としての起用がもっとも早いものでしょう。
作品全体の世界観を映し出す看板のような存在として90年代頃から使用が始まり、FF8の《Eyes On Me》などでは、曲としての注目度も高かったようです。
最近では、このようなボイス音源の使われ方はかなり一般的になってきました。
しかし、必ずしも全部のゲームで徹底されているわけではありません。
先日発売日が公表された「スーパーマリオ オデッセイ」では、“シリーズ初となるボーカル曲”が使われています。
逆に今まではマリーシリーズで使われてこなかったのかと、私自身少しびっくりしましたが、世界観を言語化してしまうボーカル曲というのは、それだけ強力なイメージの牽引力を持っているということなのです。
技術的に可能になった現在においても、主題歌にボーカル曲を使わないゲームはたくさんあります。
ここで重要なのは、ボイス音源が最初に用いられたのが、主題歌という、ゲーム作品の根幹を支える要素に用いられているという点です。
つまり、ボイス音源は登場初期から他の音源よりも高い地位を与えられ、特別な扱いを受けてきているということになります。
これは、先ほども述べたように、特にボーカル曲に関しては非常に強力なイメージ訴求力を持っているからだと考えられます。
そして、最近ではボイス音源の使用領域がさらに広がりつつあるように思われます。
ボイス音源には、ざっくり言うと、ボーカル曲とコーラス曲があります(厳密には、キャラクターのボイスもボイス音源ですが、ここではBGMに含まれるものを問題にします)。
ボーカル曲は、歌詞を伴ったいわゆる歌としてのボイス音源であり、コーラス曲は、楽器としてボイスを使うことに主眼が置かれており、歌詞はボカリーズだったり、現代人にとっては死語に相当するラテン語が歌詞になっていたりするボイス音源です。
ボーカル曲については、依然として主題歌としての起用が主流であるように思えます。
それは、ボーカル曲の訴求力が高すぎて、作品の導入・終結部や、シナリオの高揚のピークでしかうまく機能してくれないからでしょう。
一方、コーラス曲は、必ずしも作品の世界観を反映させたものではありません。
明示的な言語化を伴っていないために、訴求力についてはボーカル曲に次ぐ位置づけにあるからです。
しかし、ここで興味深いのは、コーラス曲のほうも、やはりここぞというときに使われている、ということです。
例えば、ラスボス・強敵との戦闘において、通常の戦闘とは違ったコーラス曲が使われたりすることは最近よくあります。
私がプレイしたゲームでは、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」や「ファイナルファンタジーXV」もそうでしたね。
つまり、ボイス音源は、主題歌以外の場においても、特別の待遇を受けていることになります。
なぜ、楽器として声が用いられているコーラス曲においてもボイス音源が特別の待遇を受けているのでしょうか。
それは、人の声そのものが楽器として特別な地位を占めているからということにほかなりません。
オーケストラの曲、例えば、「第九」でも、第4楽章の「例のコーラス」に至るまでの道のりは、正直にいって非常に長いものに感じられます(慣れるとその道のりを楽しめるようになりますが)。
しかし、いざ「例のコーラス」の部分に到達すると、コンサート会場でいびきをかいていたおじさまも突如として覚醒し、(たとえドイツ語の歌詞を全く理解していなくても)コーラスの絶唱に耳を傾けはじめます。
私たちは、ボカリーズだろうが歌詞が意味不明だろうが、「人の声である」というだけで、生理的に注目する傾向にあるということなのです。
以上みてきたように、ボイス音源は、ゲーム音楽として登場した初期から重要な地位を与えられてきました。
一方で、近年ではコーラス曲の採用も増え、依然としてBGMとして特別な待遇を受けています。
それは、ボイス音源がインストゥルメンタル(器楽音)とは、明確に異なった位置づけを与えられているからであると考えられるのです。
これから先も、ボイス音源はBGMとして他の音源とは一線を画するものであり続けるでしょう。
今後どういったBGMが登場するのか、楽しみに待ちたいと思います。
それでは、また。