ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

毎日更新されたりされなかったりする日記

優等生タイプの作家と天才タイプの作家

こんばんは、ヨン様です。


先日、購入したブルーレイディスクで久しぶりに「君の名は。」を鑑賞しました。
相変わらずの綺麗な背景美術としっかりとしたストーリー展開に魅了されました。
二回目でもなかなか楽しむことができるもんですね。

ところで、面白かったのは特典としてついてきた新海誠監督自身による解説の講演内容です。
どういったコンセプトで作品が作られているのか、どういった場面でそれを表現しようとしたのか、個々のシーンの意図はどのようなものか。
私は新海誠監督および「君の名は。」の熱心なファンではありませんが、ファンならずとも興味深い話題が盛りだくさんでした。

ただ、私は、新海監督の緻密な作品設計に感心するのと同時に、作家としての姿勢にも関心をひかれました。
新海監督は、作品の一つ一つの場面に対する、登場人物の意図、それから物語構造上の意図(メタ的な意図)を、筋道立てて、分かりやすく説明していました。
そして、その様子があまりにも理路整然としているのに驚嘆されられたのです。

作者だから、自分の作ったものに対して説明できるのは当たり前、という考えもあるかもしれません。
しかし、自分自身が生み出したものついて、十全に説明することというのは案外難しいものです。
それをすらすらと分かりやすくプレゼンできるのは、それはそれで一つのスキルであるように思います。

逆に、例えば宮崎駿監督などは、テレビのドキュメンタリー番組などの様子を見ている限り、かなり口ベタな人です。
自分の作品に対する説明についても、あんまり要領を得ていないように見えました。
なんというか、宮崎監督の場合は、非常に感覚的にプロットなり脚本なりを作っていて、その意図を改めて明示的に説明するようもとめられると、どうもそれほどはっきりした輪郭の説明にはならないようなのです。

そうすると、作家には次のような少なくとも二つのタイプがあることになります。
新海監督のように、しっかりと理屈に裏付けされた優等生タイプの作家と、宮崎監督のように、本能的な嗅覚をもって作品を組み上げていく天才肌タイプの作家です。
新海監督の作品は、確かに部分的に意図を汲み取れないところもありますが、説明されれば、ああなるほど、と理解できる類のものです。
一方で、宮崎監督の作品は、たぶん説明されてもわかりませんし、もしかしたら誰も(監督本人さえも)まともに説明できないかもしれません。

作品が、理路整然として分かりやすいことに越したことはありません。
しかし、得体の知れない感性から生み出される圧倒的な作品の存在感にも、言葉にできない魅力があるのではないでしょうか。
私自身も、時たま圧倒的な作品に触れたい気分になることがあります。


中にはプロットのしっかりした作品しか受け入れられないという方もいらっしゃるでしょうし、その逆もいらっしゃることでしょう。
自分の好みや気分に合わせて、作品を楽しめると良いですね。

それでは!