ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

毎日更新されたりされなかったりする日記

モブには家すら与えられない

こんばんは、ヨン様です。

本日は練習が行われたようですが、私は諸事情により参加することができませんでした。 本番まで1ヶ月ほどとなりましたので、気を引き締めてまいりたいですね。

ところで皆さん、RPGなどのゲームをプレイしていてこんなことが気になったことはないでしょうか。

人口に対して家の数が少なくないか?

例えば、「ポケモン」赤・緑のマサラタウンには、家が3軒しかありません。 主人公の家とライバルの家とオーキド博士の研究所です。 しかし、マサラタウンの住人はこの家の居住者だけではなく、有名な「科学の力」お兄さんが生活しています。 では、屋外にいる「科学の力」お兄さんはどこで寝泊まりしているのでしょうか? 「科学の力」に憧れを抱きながらホームレスとして生活しているのだとすれば、あまりにも涙ぐましすぎます。

また、オーキド研究所には何人か研究員らしき人々が見えますが、彼らの就寝場所についても不明確です。 オーキド博士の研究所はあくまでも平屋建ての研究所であって、見たところ宿泊施設を併設しているようには見えません。 すると、あの狭隘な研究室で何人もの所員が雑魚寝しているという可能性が浮上してきます。 「研究所で寝泊まり」と聞くと何やら青春の1ページのように思えてきますが、ようはブラック研究所ということです。 オーキド博士も、世界的な成果をあげているのであれば、もう少し所員の福利厚生に気を配ってもよいのではないかと思われます。 廃墟になってしまったとはいえ、グレンタウンにあるポケモンやしきのほうがよっぽど研究施設として優れているのかもしれません。

このように、ゲームではしばしば家を持たず、事実上ホームレスに近い状態で生活しているとしか考えられない人々が登場します。 「村の名前を紹介するためだけに歩き回っている人がいる」というのは、ゲームをメタ視点で見たときによくネタにされることですが、それと同時に、その多くが路上生活者であるという事実にも注目するべきです。 そのような人々は、なぜそのような境遇に追い込まれてしまったのでしょうか。 ひょっとすると、ゲームの世界は我々が思っている以上にカースト的な社会になっており、「モブ」と呼ばれる人々には家すら与えられないのかもしれません。

あるいは、ゲームの世界は住宅事情が現在とは変わってしまった世界を象徴的に示しているのかもしれません。 今後世界の人口が増え続ければ、住宅の供給が追い付かなくなっていくでしょう。 そういった前提を踏まえれば、家を持たない「モブ」たちはそのような世界を予言しているようにも見えます。

本日はゲーム世界における住宅状況が意味することについて考えてまいりました。 これを一種の現実世界に対する警鐘と捉え、自分の生き方を見直したいものです。

それでは!