ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

毎日更新されたりされなかったりする日記

コンテンツへの向き合い方

 エスです。土曜に練習して日曜に録音するというシュビにあるまじき過密スケジュールでした。普段は録音メインの兼団しやすい団体なんですが今年の夏までは本当に忙しいです。まあ今のところ忙しいなりにそこそこちゃんと回せているのは救いですね。

 今日はコンテンツに対して、というか公式と二次創作への向き合い方について書きます。

 結論から書くと、公式を真に受けてばかりいると辛いので程々の距離感で楽しめばいいんじゃないかと思います。

 これだけではなんなので、どうしてそう考えるようになったかの経緯をば。

 自分がオタクになったのはエヴァからです。

 リアルタイムで見ていたわけではないんですが、中学生の時に同級生から勧められて全話+劇場版を見てドハマりしました。当時SNSがあるわけもなく熱を持て余した私は語る場を求めて掲示板を徘徊、そしてネットにある膨大な二次創作の海を泳ぐことになりました。

 当時のエヴァ二次創作は全盛期こそ過ぎてはいましたがまだまだ熱を持っており、劇場版のその内容を噛み砕くために様々な「俺のエヴァはこうだ!」という創作が大量に存在していました。自分なりのエヴァの結末、本編からの分岐(ifもの)、物語の再構築、逆行もの、断罪もの(今ならヘイト創作と名付けられているやつ)、学園もの(これは公式もやってる)、パロ、オリキャラ、クロスオーバー、とにかくありとあらゆる二次創作をその時期に摂取したと言っても過言ではありません。ちなみにLRS派です(伝わる人にだけ伝われ)。あと今回の話に全然関係ないけど私のアクロトモフィリア傾向の3割くらいは綾波レイのせいだわ……今更気付いた……

 で、大学に入ってからは東方ジャンルにハマってました。こちらは今でも細々と続いていて、ホームジャンルの一つです。実は今でもアイマス本より東方本の方がお金使ってます。

 こちらも二次創作が盛んで(というか神主よりも二次創作の方が勢力が大きいまである)、前作までは特に絡みがなかったけど同じ種族だからカップリングで描いていたら次のナンバリングタイトルで仲が悪いことが発覚したり(むしろ喧嘩ップルでは???)公式では別に普通の口調なのに見た目の影響で二次創作ではぶっきらぼうな口調になるのが一般的なキャラが存在します。もはや何でもありです。

 そういうジャンルの中で活動したり、自分でも二次創作したりしていたわけですが、一般的なアニメやソシャゲだと公式の影響が良くも悪くもめちゃくちゃでかいなーと感じることがあります。

 別に公式が作った設定を必ずしも遵守しなきゃいけないわけでもないし、自分が好きな飲み込みやすい設定を貫けばよいのでは?と思うことがけっこうあります。お気持ち表明文を書く力で作品を描いて表現で殴れ。

「公式設定を尊重する」のと「公式設定を尊重することを(他人/自分に)強要する」のは全く別で、都合が良ければ迎合すればいいし悪ければ無視でいいのです。それは消費者に許された権利です。

 結局、公式って最大手なんですよ。裏を返せば最大手でしかない、とも言えます。「最大手様がこう作ったんだからこう作らなきゃいけない」とか、逆に「最大手があんな作品作った!許せない!」なんかも、何ていうか……馬鹿馬鹿しいじゃないですか。

 公式に裏切られたって感じるひとは、例えるならば純愛ものを描いてた作者が急にNTR本を出すようになったみたいな感じですかね。悲しいですが嘆いても何が変わるわけでもないしお気持ち表明してもいい方向に転がることはないので諦めて他の作者様を探しましょう。なに、世に純愛ものを描くひとはたくさんいるさ。

 ……ここまで書いてて思いましたがこれ「フラれた辛さは他の女で癒せ!」とか言ってキャバクラに連れて行くおじさんみたいな趣がありますね。私は付き合ったことこそあっても恋愛をしたことはないのでこの人じゃなきゃ!みたいな思考が働きにくいのはあると思います。これはいけない。

 とはいえ、依存先を一つに絞ってしまうとそれに振り回されて疲弊するのは確かなので、自立=精神の安定のために公式以外の解釈もいくつか飲み込んでおくのがベターと言えるでしょう。

 今日はここまで。